ミャンマー・ヤンゴンの日本人墓地において斎行された「大東亜戦争・ビルマ方面 戦歿者慰霊祭」(主催:戦歿者慰霊の会櫻街道、斎主 末廣神社 竹ノ内喜良司宮司)に典儀として奉仕させていただいた。

羽田〜タイ・バンコクを経由して、ミャンマー・ヤンゴンへ。

ミャンマーの上空。飛行機の窓から見える、大地の緑と赤土のコントラストが美しい。

幾本もの大河も横たわっている。

先人は、灼熱のこの大地を歩き、背丈を越える川を渡った。

インパール作戦の過酷さを思う。

祖国を、家族を思う兵士たちの目に映った風景を、いま私も見ている。


    ☆     ☆     ☆     ☆

【慰霊祭式次第に寄せた一文】

先の大戦終結から七十二年の歳月を数える年となりました。敗戦という未曾有の事態を経験した我が国も、父祖らの祖国再興の思い、懸命の努力は「奇跡の復興」と賞され、いまでは世界有数の大国となりました。

それでも、現代人の歴史観は、昭和二十年八月を境に大きく転換させられ、いまでは、歴史を断罪する風潮がはびこり、戦歿者に対する慰霊顕彰という日本人の心持ちも、年を
追うごとに希薄になってしまっています。

しかし、この繁栄した世を生きる私たちが、その礎となられた先人を敬うことなくして、真の平和など招来するはずはありません。

昭和十六年十二月八日の日米開戦以降、ビルマ(当時)における日本軍は、昭和十七年
一月から昭和二十年八月の終戦まで、およそ三年七ヶ月にわたり米国、英国をはじめとする連合軍と熾烈な戦いを繰り広げられました。

この戦いでは、ビルマ方面軍、第十五軍、第二十八軍、第三十三軍合わせておよそ三十
三万の兵士が戦闘に従事し、約十九万の兵士が尊い命をおとされています。インパール作
戦という過酷な行動では、その道行きに多くの兵士が斃れられ、その道は「白骨街道」と
も呼ばれるようになりました。そして、いまだ祖国に帰ることの出来ない先人のご遺骨が
多く残されたままの状況もここにあります。

これまで、「なき友の遺骨を日本へ」と念願された、ビルマ戦友団体関係者の皆様をはじめとして、多くの方々によって戦跡慰霊巡拝・ご遺骨収容活動が行われてまいりました。しかし、高齢化にともなう現実を目の当たりにするなかで、あらためて次世代を担う私
たちこそが、これを引き継いでいかなければならないと痛感しております。
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