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民族革新会議の皆さんと
真夏を思わせる天気だった。

4月22日、上野公園で斎行された西郷南洲銅像清洗式(主催・一般社団法人西郷南洲会)に参列させていただいた。

本年は王政復古の大号令が渙発されて150年という節目の年。NHKの大河ドラマでは南洲翁を主役として物語が展開されている。多くの人々に、南洲翁をつうじて明治維新の意義とは何であったのか、また翁の御事績について知る機会になればと思う。

私は父方が鹿児島の神職の家で、南洲神社の階段を下りたところにる春日神社に奉職をしてきた。また母が水戸ということもあり、この運動に入ってからは特に、桜田門外の変をめぐる、薩摩と水戸の関係と、またもし薩水同盟というものがあり得た場合、薩摩の南洲翁と水戸の藤田東湖先生が指導する、尊攘維新とはどのようなものになっていただろうかということを、現代の運動に置き換えて考えている。

維新後、水戸の志士で官位に就いた人はいない。これは逆に南洲翁の遺訓にある「命も要らず、名も要らぬ、官位も要らぬ」という言葉を実践する、水戸っぽの真骨頂である。

右翼もまた、こうあるべきだ。

南洲翁も官位を捨てて下野し、第二維新というべき西南の役において、翁は賊として命の最期を迎えた。

226事件において処刑された青年将校もまた、賊として最期だった。

昭和11年7月12日、将校らが処刑ことを侍従武官からお聞きになった昭和天皇は、終日御所の奥でお慎みになられたと昭和天皇実録にある。

その年の盂蘭盆の時、陛下は御所に盆提灯を掲げて、皇后陛下とご覧になられたともある。

その盆提灯の数は、処刑された青年将校の数と同じであったともいう。

天皇の軍隊のその軍紀に刃向かったとされる226事件の歴史である。けれども先帝陛下は将校らの蹶起の本質についてすべてを御理解下さっていたのではないだろうか。

同様に、南洲翁にもまた、明治天皇は銅像の建立にあたって、莫大なお金を下賜され、その汚名を雪がれている。

天の大御心は、すべての本質をおわかりくださっている。

そう考えれば、私たちはあらためて、みずからの思想運動のありかたが、大御心に添いうる、ご理解いただけるものであるか、否か、ということを南洲翁の御前で、強く思った。

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