後醍醐天皇への忠義を絶対として生き死にした大楠公の御霊の前に立つ。

『大日本史』『日本外史』『太平記』

学問への希求は果てないが、読むべき本はこれだけで良いのかもしれない、などと思う。

その後の神戸護国神社までの道行きには、某本家をこっそり見学した。ちょっと緊張した。

護国神社から見た既視感のままに歩いて、安藤忠雄さんの建築群を見に行った。

神宮式年遷宮の年、御霊が正殿に移られた直後の、旧正殿の間近まで入らせていただく機会があった。

役目を終えた途端に、朽ちるという建築の現実を目の当たりにしながら、これもまた建築美なのだと思った。

数十年ぶりの、安藤建築は、新旧作品が共存していたが、古いものもきれいに磨かれていた。それによって、資産的価値はさほど落ちるものではないのかもしれない。

形あるものは永遠ではない。ゆえに美しいのではないかと思う。
反面、経済行為では受け入れられるものではないのだろう。

そう考えながら、楠公の精神が永遠である所以はなにかと思う。

それこそが時代を経てもまた、人々によって磨き続けられている証しなのだ。

楠公精神とは、生きる上での絶対美なのである。
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