天皇陵を訪ねる旅を終えてしばらく経つが、近所の公園の築山などをみるたびに、古墳なんじゃねぇの? と思ってしまう。後遺症かもしれない。

昭和48年の発掘だと記録にあるから、私が9歳の時だ。自宅から副長の家のほうへ10㎞ほど進んだところで、明治大学の教授らによって虎塚古墳が発掘され話題となった。

石室内部からは、成人男子の遺骸が1体と大刀、槍鉋、鉄鏃、鉄板などの副葬品が出土した。

すぐに一般公開され、自転車で見に行った。けっして興味があったとは思えない。学校の課題だったのだろうか。

石室内に描かれた幾何学模様が恐ろしくて仕方なかった。
帰り道の夕焼けをよく覚えている。

【今回は明日香村のキトラ(亀虎? 北浦?)古墳】

40代天武天皇の皇子(高市皇子)もしくは、側近の高官(右大臣の阿倍御主人)が埋葬されたとされている。

石室内部に塗った漆喰の上に「朱雀」「玄武」「青龍」「白虎」そしてその下には3体づつ、計12の獣頭人身(12支)があり、天井には「天文図」が筆で描かれている。

天文図の正確さが、学術的に評価されているようだが、私にはよくわからない。

すぐ近くに檜隈寺跡がある。渡来系氏族、東漢氏の氏寺とされる古代寺院跡だ。7世紀後半の創建。中世には道興寺とも称された。現在は、明治期に建立された於美阿志神社が建っている。
本居宣長も此の地を訪れている。

飛鳥への最初の渡来人は檜隈民使博徳(ひのくまのたみのつかいはかとこ)で、その時期は457年・雄略天皇2年とされ、彼の子孫らはやがて東漢(やまとのあや)一族となり、のちの飛鳥文化形成に大きな役割を果たしたと、資料館の解説にあった。

明日香・飛鳥地区は、建築が制限されている。
古代のままに時間が流れている。あいにくの雨模様だったが、それがつくりだす靄も往時を偲ばせるようでなんともいいがたい気分にさせられた。

ただのレポートになってしまった。
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