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■『古事記』上巻 崇神天皇
「この天皇(すめらみこと)、御歳壱百陸拾捌歳(みとしももちまりむそぢやつ)。〔戊寅年の十二月に崩りましき〕
御陵は山邊道勾之岡上(やまのべのみちのまがりのをかのへ)にあり。」『古事記』上巻 崇神天皇

■『古事記』上巻 景行天皇
此の大帯日子天皇の御年壱百参拾漆歳。
御陵は山邊之道上(やまのべのみちのへ)に在り。

景行天皇陵の正面には国道169号線が南北に走っている。陵のお向かいには「大和まほろば」という食堂があった。微笑ましい。

陵の裏手に回り、大和のおもかげ? もそのままに、日本最古の道といわれる山辺の道を歩いて崇神天皇陵に向かう。

そう遠くない場所に大和三山が見えたときには、タイムスリップも不可能ではないと思い込んでしまうほどだった。

上の古事記の引用のように、崇神天皇の御代にはすでに造られていたこの道。

大神神社、天皇陵、纏向遺跡が結ばれている。道は、曲がりくねり、高低差もかなりあったが、それが眼前で大きく開けると、そこが崇神天皇陵だった。

天皇陵が背にする山々は、陵の中心の延長線上が尾根になっている。学問的には、丘尾切断型の陵というそうだ。

解釈はきっと間違っているが、昔学校で習った三角州を思い浮かべるのがいいのかも知れない。
平地に壕も構築しやすい。

■第十代崇神天皇陵参拝
「開化天皇の皇子。母は伊香色謎命(日本書紀)伊迦賀色許売命(古事記)
『古事記』に所知初国天皇、『日本書紀』に御肇国天皇」と称される。
(考古学的に、実在したはじめての天皇だといわれる)

※資料【國の子勉強会「宮中祭祀を学ぶ」(その一、三種の神器)のレジュメから一部転載】

■神鏡(八咫鏡)
・高天原で天照大神が天岩戸にお籠もりになられたときに、伊斯許理度売命(いしこりとめのみこと)が鋳った。
・これを岩戸から大御神にご覧戴いて外にお出しした。
・天孫降臨

■「同床共殿の神勅」 吾が児、此の寶鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。與に床を同じくし、殿を共にし、以て斎鏡と為すべし。

「私を祀ると思い仕えなさい」「同じ建物に祀りなさい」

・第十代 崇神天皇 「同じ建物に祀るのは畏れ多い」として大和の笠縫に神籬をたてて皇女・豊鍬入姫命がお祀りした。(災害や疫病の蔓延の原因を占った)
 ・倭姫命(垂仁天皇第四皇女)によって、伊勢にお鎮まりになる。
 ・御代器=皇居を出るときに伊斯許理度売命の子孫が作り宮中に奉斎した。
 
古事記の世界が、そのままここにあるような気がして、ただただ感動してしまった。

お濠では宮内庁職員によって、清掃作業が行われていた。本年、辞退せざるを得なくなった皇居勤労奉仕を思い、無念がこみ上げてきた。

感動したり、無念だったり、まったく忙しい。

先にお濠側から鳥居を見てから、参拝させていだく。