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天皇陵を巡る旅の最終地。
本来は陵墓である「三島藍野陵」(大阪府茨木市)参拝を目的としていたが、一人ではなかったこともあり、時間の関係で「今城塚古墳」(大阪府高槻市)の見学となった。

下にその陵墓論争の要旨を記すが、考古学的には継体天皇陵だとされるところである。

【第26代継体天皇】
父君・彦主人、母・振姫。応神天皇5世孫。
男系継承のシンボルともされる応神天皇5世・継体天皇の皇位継承である。

【第15第応神天皇の系譜】
ー第16代仁徳天皇
ー第17代履中天皇ーー第23代顕宗天皇(父君履中天皇皇子市辺押磐皇子)ー第24代仁賢天皇(父君履中天皇皇子市辺押磐皇子)ー第25代武烈天皇(皇子なし)
ー第18代反正天皇
ー第19代允恭天皇ー第20代安康天皇
         ー第21代雄略天皇ー第22代清寧天皇

【応神天皇の傍系の系譜】
稚野毛二派皇子ー意富々等王ー乎非王ー彦主人王(継体天皇父君)

彦主人王は近江国にいたが、越前坂井郡の三国にいた振媛を妃とし、継体天皇を生んだ。

武烈天皇が皇子無きままに崩御され、大伴金村が中心となり、物部麁鹿火らとともに継体天皇を越前から迎え、河内の樟葉で即位された。

【陵墓場所論争】
①現陵は江戸時代後期旧島下郡にあり、南北朝時代の条里も同じで『延喜式』の所在と異なるとし、現陵の東北約1.5㎞の旧今城塚古墳(大阪府高槻市)を当陵とする説が出され、この説をとる研究者も多い。

②現陵は享保陵改めには島上・島下の郡界の山にあり、『中川氏御年譜』(永禄から天正の茨木領主家譜)の「摂州図抄」では阿威川が郡界で、旧島上郡にあるので『延喜式』の所在と現陵の所在が異なると断定はできない。

当然のことであるが、ここに宮内庁の陵墓の掲示はない。
綺麗に整備された周辺には、往時を偲ばせる「埴輪祭祀」が行われていたであろう模様が再現されている。

先にも述べたように、墓銘碑などの確実なものがない限り、宮内庁の対応は変わらないだろう。

是非はともかく、ここで祭祀が行われていたことは発掘された埴輪などからも事実なのである。

神道の起源を遡れば、3世紀の纏向遺跡からは「新嘗祭」の原型だといわれるものが見つけられている。4世紀には神宮が創建され、考古学的にも5世紀には神具が多く揃っていたことが明らかになっている。

継体天皇の御在位が507年〜531年ということも、上を裏付けるものである。