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30年式年祭を終えた昭和天皇武蔵野陵
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参道で御奉送
昭和天皇の御崩御より30年。これはそのまま今上陛下の践祚からの年であるが、御代がわりを控えた大きな節目である。

例年通り、御陵に向かうが今日は規制中となっていた。
近くにバイクを止めて参道へ行くと、同志の皆様が陛下の御奉送のため待機されていた。

近くで暫し時間をやり過ごすと、白バイに先導され 天皇皇后両陛下、秋篠宮殿下、皇族方が乗られた車列が通る。最敬礼でお見送りし頭を上げると、目の前の車には安倍総理が乗っていた。

12時30分に規制が解除され、陵に参拝させていただく。

12月25日(大正天皇祭)の参拝は、ほぼ一人だっただけに、この違いはなにかと思わざるを得ないが、それでも激動の時代に皇位にあられた先帝の御事績を偲ぶ人が多くあるということなのだろう。

昨晩は『昭和天皇実録』の頁を追って過ごしていた。
時系列のならびは、思いつくその日、その日がリアルに現れてくる。

昨年の夏、岩井克己氏が『選択』誌上に連載していた「宮中取材余話 皇室の風」をまとめたものが、講談社から刊行された。

その論旨については、手放しで賛同できないものも多くあるが、近くで皇室を取材し続けて見た事実に、学ばされることがたくさんある。

さきの『昭和天皇実録』にまつわる話の中で、こんなものがあった。
《本は、後輩に貸してしまったので、要約・書き出したノートから》
■は抜き書き、()は私見である。

■『昭和天皇独白録』
1946(昭和21)年、東京裁判対策のため側近らが昭和天皇から4日間計8時間にわたり大戦の回顧を聴いた記録。

(1991(平成3)年、『昭和天皇独白録 寺崎英成御用掛日記』として、寺崎の遺族マリコ・テラサキ・ミラーが講談社より出版した。)

■徳川義寛(1988、昭和63年まで侍従長)
「あれの原本は私も見たことがあるが、寺崎さんの『独白録』は原本とはちょっと違うように思う」「宮殿の下にいろいろ保管してあるので、そこにあるかもしれません。世に出ることはないでしょう」

■昭和50年代に当時の入江相政侍従長が19回にわたって昭和天皇の「大東亜戦争回顧」を聞き書きした『聖断拝聴録』が存在する。『独白録』とは比較にならない分量。

■徳川義寛が持ち出し? 遺族が自邸に残されたカバンとともに宮内庁に返却。

■『独白録』『御聖断拝聴録』ともに、実録採用のために捜索したが不明。卜部日記によると天皇自筆の「日記」も香淳皇后の崩御後に見つかったが、側近が副葬品として陵に埋葬してしまった。

(宮内庁とあろうものが、『独白録』『御聖断拝聴録』ともに、捜索したが不明とは、にわかに信じがたい。もしかすると、身近に仕えた者が「守秘ということを忘れ、問わず語りをするよりは」また「政治利用されるおそれ」という考えに基づく賢明な言い訳なのかも知れないと思う)

「陵には、先帝陛下自筆の日記も納められているんだな」そんなことを思いながら、また、いまだ先日の天皇陵を巡る旅を思い出しながら、時代の節目を強く感じ参拝させていただいた。

帰途につかれる皇族方は、どのような思いで参拝されたのだろう。

岩井氏は言う
「政治的妥協で皇室典範が本法と特例法の重層構造となってしまった以上、女性皇族の扱いこそ特例法で乗り切らざるをえないのではないかということだ。毒を食らわば皿まで、である」

為にする謂いであるが、これもまた目を背けてはならない論であることは事実である。