運動に入った当初といまを比べると、明らかに変わったことがある。

多くのものごとについて、強く断定的に述べ、書くことができなくなった。

本当にこれで良いのだろうか。このことによって、誰かを傷つけていないか。そういった様々な躊躇のなかで、もっと考えなければと思い続ける。なかば、自信の喪失という気もしていた。

しかし、最近読んだふたつの論旨に、それもある意味正しい道程なのかもと思わされた。

「無知は極端に走りがちである。ー自分の知らないことについての意見はどうも、バランスのとれた穏健なものではなさそうだ」(『波止場日記』エリック・ホッファー)

「人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合他人の意見を受け売りしているときだ。自分の固有の経験的厚みや実感を伴うかぎり、それはめったなことでは『すっきり』したものになりません」(『日本辺境論』内田樹)

なんとなく、救われた気分である。
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労働と思索  憧れである
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中国との関係を考える良いテキストになった
齢を重ねてきて、あと何回これができるのだろうかということを考える時がある。

年に一回の行事ともなれば、なおさらのことだ。

jujuさんの歌に「また明日」という歌があるが、そう言ってもまた会えないこともある。

神宮参拝禊会に参加させて頂くようになって、毎年神宮に参拝することができるようになった。

バイクに乗って、志摩の友人を訪ねるようにもなり、伊勢がますます身近になった。

今年9月に、志摩でのみそぎ会が開催されるにあたり、前夜にバイクで東京を出てはじめて神宮の早朝参拝をさせて頂いた。

体全体が神聖に包まれるという感動があった。

それでもたびたび来られるところではない。

3月と9月の禊会のほか、6月と12月の1日を早朝参拝の日にしようと決めた。

前回9月の時は、開門時すでに明るくなりかけていたが、今回はまだまだ漆黒の闇であった。

とくに倭姫宮では、参拝者はわたし一人だけであった。内宮にくらべて灯りも極端にすくなく、神と対峙する濃密な時間を過ごさせて頂いた。

次は禊会の時に参拝させて頂く。

人生のうちあと何度、お伊勢参りができるのだろうか。

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夜明けを告げていた
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神秘のひとことである
いまNHKで「ぬけまいる」というドラマが放映されている。

直木賞作家の朝井まかてさんの同名原作で、とても面白く読んだことを覚えている。

ドラマでは、各週のそのスピード感がなんとももどかしいが、好きな女優さんも出ているので楽しく見ている。

ドラマはまだまだ伊勢にたどり着かないが、往時の人々がひしゃくを持って歩いたであろう旧伊勢街道をバイクで走ってみた。

あの常夜灯は、何人のぬけまいり人を見たのだろうか。
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旧伊勢街道と常夜灯
仙台での三島由紀夫・森田必勝両烈士「蹶起前夜遺志顕彰祭」「年忌法要」を終えて、四日市へ。

大治田にある森田必勝烈士の墓前に奉告。

今年の野分祭がどちらで行われたかは知らないが、命日には多くの方が参詣されたのであろう、きれいなお花が供えてあった。

もう10年以上前のことであるが、墓参を案内して下さった必勝烈士のお兄様から「多くの方がおまいりしてくれるので、必勝のお墓を分けたんです」と聞いたことがある。

そのデザインにある姿を思い浮かべるが、誤解があるといけないのでここでは差し控える。

墓石に刻まれた25歳という年齢に、いつも愕然とさせられるのである。
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左が森田家、右が必勝烈士のお墓
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昭和45年11月25日没 25歳
昭和45年11月25日、東京市ヶ谷台・自衛隊東部方面総監室において楯の会隊長三島由紀夫氏、学生森田必勝氏が自衛隊員に向け「憲法改正」を訴えたのち、自刃された。

あれから48年の月日がながれるなか、その「憲法改正」こそ、政治的に議論されることとなったが、本質は三島・森田が訴えたものからは大きくかけ離れたものとなっている。

そしてなにより、わが国を取り巻く現状は、三島が「檄文」で訴え、「英霊の声」に託した言葉に倍するが如く混迷を極めている。

私は、平成10年頃から三島・森田の蹶起前夜に思いをはせ慰霊顕彰を行っていた「野分祭」に参列、平成12年の30年祭からは、祭典の奉仕をさせて頂いてきた。

その慰霊顕彰とは、誰がなんのために行うのか。

この数年、ある種政治的なゴタゴタのなかで、心を痛め続けてきた。

一昨年から、その「野分祭」を離れ、國の子評論社の仲間たちと蹶起前夜に「檄文を読む会」をはじめて、自身の思いを整理しながら話をし、思いを新たにしてきた。

昨年のその勉強会の時、あらためて自分たちで慰霊顕彰のみまつりを行いたいと話した。

さいわいに、副長は真言宗の僧侶である。青年隊長は、教派神道での学びをはじめていたところであった。

その場で、24日の蹶起前夜には「神式の慰霊祭」25日には「仏式の法要」を執り行うことを決めた。まずは、心許す仲間だけで始めることにした。

一年前のそんな話だけだったのだが、副長も隊長もまつりの準備をしっかり行っていてくれた。会場となる副長の寺(仙台)までの移動の手段を段取りしている者もいた。

勢いだけではない、それぞれが当事者として準備をしてくれていた。

【11月24日(土曜)】晴れ
東京駅より新幹線にて仙台へ移動。
前日に新嘗祭を終えたばかりの東京から参列して下さる荒岩宏奨さん、親愛なる弟分の佐藤健治(青森)、佐藤剛(秋田)、そして地元宮城から不二歌道会の森政見さんも到着し、祭典の準備にとりかかる。

副長やその師である管長さんとの対話の中で、この数年、慰霊とはなにか、顕彰とはなにか、供養とはなにかということを考え続けてきた。

たしかに、慰霊と顕彰をする者が、そこで立てた志を全うすることで、その当事者なりの供養は可能になるのかもしれない。しかしそれは、自己満足だけなのではないか。

慰霊顕彰のみまつりで供養は可能か。

まだまだ回答はでないが、蹶起前夜の三島・森田烈士の御霊をお招きして、その精神と向き合うことから逃げてはならない。

私が祭主、岩上直樹隊長が斎主。中川くんが典儀となって、48年祭を執り行った。

祭式は岩上くんに委ねた。私が奉仕していた「野分祭」で、檄文を奉読していた岩上が装束に身を包み、祝詞をあげ、みまつりをつかえる姿にそれだけでも大きな感動があった。立派に御霊をお招きしてとどこおりなく終えることができた。

寺の鎮守様の前を斎庭とさせていただく神式の祭典であったが、真言密教にはそれも縁遠いものではない。

これが私たちの蹶起前夜遺志顕彰祭だ。

佐久間夫人が直会の準備をしてくれ、絶品のせり鍋をつつきながら、おおいに語らった。

みちのく方面からの参加者は、三人で三升の日本酒を酌み交わし、笑い、泣き、椅子から落ちて床で寝た。

素晴らしい直会の時間だった。噂ではあるが「みちのく評論社」が近くつくられるかもしれない…。

夜は寺の広間に布団を敷いて皆で寝るも、みちのく方面のいびきに悩まされ、なかなか寝付けなかった。

【11月25日(日)】
昨晩同様、朝食を準備して頂き全員で食す。みちのく方面はいつもの無口に戻っていた。

所用のため本日からの参加となった和泉くんも合流。

11時より、彰武院文艦公威居士(三島由紀夫)、慈照院釈真必勝居士(森田必勝)年忌法要

ながく修行をつづけている副長が導師、私が施主となった。

副長のその迫力ある読経につつまれながら法要が進む。

冥福を祈るということの意味。犬塚博英先生から教えられたことの意味などを考えた。

導師の好意で、法要中に岩上くんによる「檄文朗読」が行われた。神式の祭典以外で聞く檄文。
胸が熱くなった。

あわせて、大塚亮太九州本部長からの献詠を森政見(不二歌道会)さんが、奉読して下さった。

法要は一時間に及んだ。

供養とはなにか。

最近読んだ小説の中で「神道における結界は、神の領域へ俗が入り込まないとともに、神の力を畏れ、神が俗に対する力の行使を、そこに畏れながら留めおくためではないか」という記述があった。

もしかすると、成仏ということをなさない仏様は、その力を地上界に及ぼす。

天命によって地上の秩序が変化する。天変地異に対する考え方の一つだろうが、冥福を祈る、魂の平安を祈るとは、そんなことなのかもしれないと思った。

このことは、これからの反省会での議論としてみたい。

副長は、政治団体ではなく宗教団体だと「國の子」をいうけれど、なにか本当になりつつある気がする。

みなそれぞれに潔斎をとき、焼き肉を食し、岐路についた。

佐久間副長、岩上隊長の奉仕に、そして遠くから参列して下さった皆様に感謝。

様々な成果とともに、課題も見えた両日の祭典は、次につながる私たちの道の指針となるだろう。


【その他写真は、Facebook頁をご参照下さい】
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24日 参列の皆様と
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馬子にも衣装?
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またの名を副長 青年隊長
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檄文朗読(岩上)
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献詠奉読(森さん)
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導師法話
■季刊『大吼』平成30年秋季号
「尊攘義軍12烈士女73年祭を斎行」
ー烈士らの御事績を語り継ぐものとしてー

■『月刊日本』11月号
特集「靖國神社は誰のためにあるのか」
小堀宮司をめぐる報道をうけて、コメントが掲載されました。
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月刊日本
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季刊大吼
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竹ノ内宮司による禊作法講習(ブログ北面武士より)
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古事記と禊についてお話しをさせていただく
早朝四時半起床。装束を整え集合する。

全員が、かけ声とともに海へ。サーフィンのメッカでもあるという。つい最近も世界大会が行われた場所である。

五年前の病気以来、三月の禊は体への負担も小さくないことから躊躇し続けているが、今回は夏禊ということもあり、気合いをいれて臨んだ。

海中で、祓戸の大神を懸命に唱えた。水平線のさきに高天原があると思った。綺麗な光景だった。 

参加者全員が、清々しい気持ちでいっぱいになったと思う。

宿で朝食をとり、伊雑宮に正式参拝。のちに解散式が行われすべての行事が終了した。

運営に奔走された方々、地元で協力をして下さった方々に感謝。

一路バイクで帰宅。途中、道の駅で仮眠したり、山中湖畔では濃霧で走行がままならない状況になったりしながら帰宅。この往復で約千㎞走行。さすがに疲れたが、それ以上の満足感に包まれている。