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3月3日 暦こそ違うが「桜田門外の変」そして「経団連事件蹶起」の日。
この数年は、毎年この日に故郷水戸に帰っている。 桜田烈士祭参列や、友人を誘い史跡巡りをしたり。 今年も日帰りで水戸へ。 水戸殉難志士の墓は、東日本大震災でそのほとんどが倒壊した。あの痛々しい姿は、いまでも生々しくよみがえってくる。現在は、復旧記念碑も建つほどにまでなったが、悲しいかな奥の常磐共同墓地には倒壊したままのお墓も少なくなかった。史跡・弘道館はいまだに復旧工事を行っている。 途中、黄門様ご一行に出会ったり、偕楽園では野点を楽しませていただいた。 久しぶりに、のんびりした気分で有意義な日を過ごした。 帰りの車の中から、戻ったら『光圀伝』(冲方丁・角川書店)をまた読もう、という気分になっていた。 小説の中のことではあるが、光圀に対して、兄・頼重がたびたびつかう茨城弁に、なぜかいつも涙があふれてくる。
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春の芽吹きは、からだのさまざまなところに変調をきたす。(アタマのなかは平気だと思う)
歯科や内科に通いながら、伊勢でのみそぎ〜雑誌の校了〜民革物故同人慰霊祭、その間にもA新聞の取材をうけたり、慌ただしく過ぎた。 とくに歯の影響が大きいと思うが、体重は一気に5㎏落ちた。 100㎏を切ったら副長に除名するといわれた…。 昨日の第128回國の子演説会は、副長に仕切りをまかせて民族革新会議の行事へ。なかなか楽しい演説会のようであった。詳細は、参加してくれた人見仁君のブログを (Click!) 。 バタバタしたは日々は、桜をみあげる余裕もなかった。 今日は、昼まで寝てから桜を見に散歩に出掛けた。 伊勢でのみそぎのこと、民族革新会議の慰霊祭のことは、また別の機会に…。 活動記録更新しました。 |
朝夕に神の御前にみそぎしてすめらが御代に仕えまつらむ
民族派青年・学生みそぎ研修の集い「神宮参拝禊会」にはじめて参加したのは平成16年のこと。平成17年の社会不在と、一昨年の東日本大震災直後の開催だった時の2回を除いて、毎回参加させていただいている。 ことし、伊勢の神宮は第62回式年遷宮を迎える。例年とはまた違った感慨を持ちながら、伊勢へ向かった。 平成16年3月7日、私のはじめてのみそぎは、生涯忘れることのできない思い出である。 当時の写真・大日本赤誠会のHPへリンク (Click!) 早朝5時、氷点下でみぞれまじりの天候のなかで行われたみそぎは、まさに身を削ぐ思いがした。しかし、その行のあとは体中を新しい血が駆け巡り、すべてが覚醒した。精神そして肉体の生まれ変わりを実感した。満足感にひたりながら、その後の内宮正式参拝や御神楽奉納の行事を終えた。 この年、中村武彦先生がみそぎの見届けをして下さった。いまから思えば、中村先生ご自身の最後となる伊勢行きだった。手前勝手な思いだが、私のはじめてのみそぎを中村先生が見届けてくれた。これは私の誇りのひとつである。 その中村先生が、すべての行事を終えた我々に講話をして下さった。 それは「神宮参拝禊会のみそぎは、自己一身の罪穢れを祓い清めるだけではなく、国のみそぎー維新を実現するための青年のみそぎである」と。 その言葉に、私は顔から火が出るほどに恥じ入った。 たんなる自己満足にひたり、清々しい気分でいたちっぽけな自分が嫌になった。 すぐさま五十鈴川に飛び込み、もう一度みそぎをやり直したいと思った。 以来、中村先生とのお別れがあり、私のみそぎは苦行でしかなくなった。 国のみそぎとはなんだ? なにひとつ、満足できないまま、数度のみそぎ会が過ぎていった。 その思いを払拭出来るようになったのは、東日本大震災を経た昨年のことだ。 平成24年、道彦(先導・指導者)である大野康孝宮司が体調を崩され参加が叶わなかったこともあり、盟友の藏満順一君に道彦を託し、みそぎ会の貫徹と大野宮司の平癒を祈念しながらみそぎをした。 国のみそぎが大原則である。私心は厳禁である。しかし、その思いで集まった人々の思いを成就させるためにも、このみそぎ会が成功裡に終わらなければならない。 また、震災以降ふさぎがちだった自分を鼓舞したいと純粋におもった。 被災した仲間の平安を祈った。 子供たちのことも思った。 そして、国のお役にたてる自分が清らかにあるように…。 藏満君の大祓詞がおわり、五十鈴川の清き流れに身をおきながら「君が代」を奉唱したときに、パッと視界が開けた。 神宮の森に光りが差し込むように見えた。 神秘的だった。 はからずも、自分以外のまわりに注意をはらいながらのみそぎとなったとき、限りなく私心に近いのかも知れないが、自他のみそぎが出来た。 そして、自他のみそぎの積み重ねが、国のみそぎになっていくのだろうと思った。 私のみそぎは、国の禊ぎをする資格と決意を得るためのみそぎなのだ。 川から上がるとき、思わず「よしっ」と思った。 日常の怠惰は、楽な方へと加速をつづけてしまうのが常である。そのなかでいかに清浄を保つか。 神宮は、20年に1度、御宮をはじめ御装束神宝がすべて新たに整えられる。 清浄であるための生まれ変わり。 今ある御宮は、いったん過去となるが、それはすぐ未来の御宮の建つ場所となる。その中心には祠が建ち清浄と永遠が保たれる。これこそが天壌無窮なのである。 その永遠のなかで、限りある命とどう向き合っていくか。 本年、みそぎ会の世話人である犬塚博英先生は、 「堂々男子は死んでもよい」と、 岡倉天心の作歌を取り上げ講話をされた。 限りある命だけれど、日本は永遠である。 祖国、神国日本の永遠が確信出来るから、いつ死んでもよい。 右翼とは、その確信を固めるために生きるということなのだろう。 |