天皇陛下の御治定により10月2日に皇大神宮の遷御の儀が執り行われた。

維れ新たなる、岩戸開きの大祭に胸が熱くなる。

同時刻 天皇陛下は皇居にて黄櫨染御袍の装束を着用され伊勢を遙拝あそばされる。

日本中が祈りに包まれた時間。

テレビ神奈川は、三重テレビがその儀と同時刻に伊勢から放送する番組を放映した。

その番組の映像と皇學館大学学長の解説を、NHKがまず放送するべきだと思う。

とても良質な番組であった。

遷御の儀終了にあわせて氏神様と忠魂碑に参拝。
第13号 特集「日本外交を問う」アジアの中の日本に、拙文「他作ナカリシカ」ー沖縄返還交渉に見る外交・アジアの要石をめぐる攻防ーを掲載いただきました。


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ちょうど2週間前の深夜。

胸に襲い来るこの痛みを我慢していたら「気絶したのちに死ぬな」と感じた。

後に調べてみると、この病の死亡率は30〜40%。

搬送中の急死も10%あるという。

人は案外、あっけなく死ぬ。

なんとなく冷静な自分がいる反面、胸にのしかかる強烈な痛みに、全身から発汗が続き嘔吐した。

痛みはいっこうに改善されることなく、得体の知れない恐怖はだんだん大きくなる。

這いつくばりながら家人のところにいき、救急車を呼んでもらった。

3件目に受け入れ病院が決まる。

永遠の時間だったような、アッという間だったような。

救急車のストレッチャーから「イチ、ニッ、サン」のかけ声で処置台に移される。

結構な体重に驚きを隠せない看護士さん。痛みにもがき苦しみながらも申し訳なく思った。

すぐに処置に当たってくれたのが循環器系の医師チームだった。

医師チームの素早い判断は、すべてビンゴ!

思えば、しばらく前から頻発する頭痛や腕のしびれは、明らかにその予兆であったのだろう。

酸素や点滴が手際よく装着され、ニトロが舌下に入れられた。

服を脱がされ、下の毛を処理されるとすぐ手術室へ。

その間に、症状と処置の説明を受ける。

「心筋梗塞です」
「カテーテル手術を行います」
「あなたの命を最優先します」

他にも、いろいろな説明をうけたが、医師の言葉にすべてを委ねた。

手首に痛み止めの注射を打たれた。痛みはそこまでだった。

手首から、カテーテルを挿入し心臓付近の詰まってしまった(壊死してしまった?)動脈にステントという管が挿入された。

順序は前後しているかもしれないが、また、なんのためのものであったか理解をしていないが、手術中に造影剤というものが投与されると、体の中を熱湯が駆け巡る感覚になる。

伊勢においてはじめてのみそぎをさせていただいたとき、五十鈴川からあがった直後に、全身を新しい血が駆け巡った、あの感覚がハッキリとよみがえった。

見届けをして下さった中村武彦先生や、世話人の先生、仲間たちのことを思った。

不思議な感覚だった。

「岩戸開き」

「自己の岩戸開き」

どれくらいの時間が過ぎていたか?

「これで終わります」

医師の言葉に涙があふれた。

ICU、一般病棟での看護士さんたちの献身。

すべてに感謝した。

痛みに耐えきれなくなった時。

救急搬送が何件か断られたこと。

受け入れてくれた病院。

手術してくれた医師。

そして、生きてこれを記す今がある。

すべてが「神はからい」

今年八月、師の導きで式年遷宮の「お白石持ち奉献」のご奉仕をさせていただいた。

奉献直後に新宮となるところから当時の正宮を拝したときの感激。

この感激を次代につなぐこともまた一つの使命であると思った。

それまで、人生最初で最後の「式年遷宮」だと思っていた。くだらぬ諦観だった。

あと20年、頑張って生きる。

そんな矢先の病も、また神はからい。

生きている、生かされている、生きたい。

そんな思いも神のまにまに。

御心遣いをいただいた皆様に、お礼の気持ちをこめて…。

ありがとうございます。


【宣言】
※あんみつ一家から引退します。
※國の子評論社の綱領から「天丼とカツ丼、迷ったらどっちも食え」を削除します。
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人生初の入院で発覚したこと