【演 題】「天長節に想う〜中村武彦先生の尊皇絶対観」
【講 師】犬塚博英(博友会代表世話人・八千矛社代表)
【日 時】平成27年12月23日(祝)天皇誕生日
     午後2時開場(茶話会) 午後3時開始
【会 場】「板橋区立企業活性化センター」第2研修室
     所在地:東京都板橋区舟渡1丁目13-10 
     アイタワー2階 (埼京線「浮間舟渡」駅北口前)
     電話:03-5914-3145
【会 費】1千円
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【会 費】4千円(女性、高齢者、下戸2千円)
【連絡先】kuninoko@gmail.com(横山)


謹啓 霜秋のみぎり、皆様には益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

 本年も残すところひと月となりました。安保法制の喧噪もいつしか沙汰止みとなり、その具体策が表だって論議されることもなく、政界は一強多弱、野党は分裂をくり返し政党政治の体をなしていません。

 目を転じると、南シナ海を巡る中共の覇権拡張とアメリカの牽制は一触即発の様相も孕んでいます。また、パリのIS による同時多発テロは世界大戦、大動乱の兆しすら感じさせます。

 現行憲法の矛盾を棚上げした安保法制の神学論争など、一発の銃声が引き金になり、国際政治の現実に身を投じる局面を不可避とすることでしょう。

  さて、本年最後の博友会は、弊会代表世話人である犬塚博英が講師となり 天長節の佳き日に恩師・中村武彦先生から学んだ「尊皇絶対の精神」を中心にお話しさせていただきます。

  御病気をおして、被災地を見舞われ、懇ろに戦跡巡拝をされる 天皇陛下は来年、フィリピンへ慰霊のための行幸をなされます。その尊い御姿を拝す我ら国民の取るべき態度とは、また維新を志す者の尊皇絶対の精神のあり方とはなにか。「承詔必謹」「大御心」とは?

 昭和維新運動にその生涯をかけられた中村武彦先生から学んだ講師から、その教えの一端でも学ぶことが出来れば天長節に相応しい研修になると考えます。
 諸兄姉の振るってのご参加をお待ちしております。 謹白
【博友会事務局】
竹中平蔵及び株式会社パソナ、株式会社パソナグループから訴えのあった「街宣差止請求事件」につきまして、4回の口頭弁論を終えました。

前回の口頭弁論準備書面で原告側は、私の提出した証拠(街宣活動の根拠とした資料)30点に対し「その真実性を問う」という書面を出してきましたので、今回の口頭弁論に向けて私からは「証拠の真実性について争う」旨を告知し、原告から証拠の中で真実でない部分を明示するよう求めました。

しかし今回、原告は「これにとりあわない」としたため、裁判長からは双方の弁論を終了すると告げられました。

これには「原告が反論できない以上、証拠はすべて真実であったと認識する」と、私は捨て台詞を吐くのが精一杯でした。

現実的には、原告、被告の関係性から言えば、原告は被告の証拠類は事実ではないと主張すれば済むことであり、あえてそれを立証をする必要はなかったのでしょう。

その観点から言えば、私が準備しようとしていた証拠に関係する著作物・記事の事実立証を早くやっておくべきでした。

今回の反省すべき大きな問題と捉えなければなりません。

また、活動にあたっては、情報収集と分析の正確性など課題が見えた裁判となりました。

それでも、私たちが行った公人・竹中平蔵に対する抗議および国民啓蒙街宣は、いまでも正当な言論活動であるという自負があります。

この活動が差し止められることは、言論表現に対する弾圧にほかなりません。

少なくとも、私が十数年続けてきた新宿駅東口での演説会において「竹中を批判することはならん」とは、権力の横暴以外のなにものでもありません。

判決は、来年2月12日(金)13:15分 610号法廷となります。

初めての民事事件の口頭弁論を経験したことを今後の糧としたいと思います。

これまで、様々なご指導、ご協力をいただいた皆様に感謝申し上げます。

國の子評論社 社主 横山孝平拝
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最後の演説は、新橋で開催された『月刊日本』辻説法。

『月刊日本』では、楠公祭のこと、そして今年後半はパソナ裁判について、筆での後方支援をいただいた。

『週刊金曜日』等で健筆をふるっていただいた、ジャーナリストのTさんにもご挨拶。

新橋は、電飾をまとったSLと、忘年会に繰り出すのであろうサラリーマンの喧噪に、慌ただしいくも楽しげな師走を感じた。

いつも偉そうなことを演説してしまうのだけれど、サラリーマンのみなさんの前で「私自身は今年も何も生産していないな〜」などと考える。(浪人だから、反省はしていないが…)

ここは街宣差止の範囲外なので、堂々と売国守銭奴の批判をかましておいた。

次回、『月刊日本』の辻説法は1月5日とのこと。
国民がこぞってお祝いに駆けつける皇居前にて、青年隊の岩上君、中川君が国旗の配布奉仕の一員として参加。私は、彼らの後方支援。

「おめでとうございます」の挨拶に心躍る思いがした。

途中、古澤俊一さんと合流して、一般に許された参賀の第一回目に合わせ参内。

皇居から徒歩で靖国神社へ。

参拝の後、青年隊・和泉君も合流して、博友会に参加。
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小旗配布奉仕
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天皇陛下萬歳
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参賀を終え宮内庁前で古澤俊一さん(右)と
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天長節の佳き日に開催された博友会は、「天長節に想う~中村武彦先生の尊皇絶対観」と題され、主宰の犬塚博英先生が講師となりお話しをされた。

《十六年十二月八日の暁を再び迎えて老いの血たぎつも》

これは、平成十七年元旦に中村武彦先生からいただいた年賀状の最後に記されていた歌だった。
悲しくも、辞世となるものである。

「今こそ撃てと詔 承けて起ちたる暁の あの一億の感激を 敗けたからとて忘られよか」

中村先生作の「日本魂の歌」の一節をすぐ思い浮かべ、十二月八日の思いを歌われているのだと理解していた。

しかしこれは、それほど単純なものではなかった…。

講師は、大東亜開戦の時は昭和十六年。そして中村先生がこの歌を詠まれたのが平成十六年。
年号こそ変われども、同じ十六年十二月八日の暁に滾った先生の熱い思いだった。と述べられる。

誤読にもならない、たんなる思慮浅い思い込みだったことを恥じ入る。

中村先生は、大東亜戦争開戦の時、終戦の時、どちらも獄中にあった。

「(昭和十六年)十二月八日は冷える朝で、風も強かった。そのせいで感慨にほてった顔を冷やそうと思って窓を開けると、平生はめったに聞こえることのない高い塀の外の街のラジオの音がはっきり流れてくるのである。『南太平洋において交戦状態に入れり』というニュース。次いで宣戦の詔。とぎれとぎれだが、『朕ここに米英両国ニ戦ヲ宣ス』の一句は、まさに雷のごとく私の耳を打った。鉄窓に倚りかかって涙がとめどなく流れた」(『維新は幻か』中村先生著)

そして、終戦間際の収監は無念であったと思う。

昭和二十年八月四日、中村先生は控訴院検事局の呼び出しに応じて出頭した。それは、尊攘義軍同志らとともに「八月五日までに各自片づけるものを片づけ身軽になって、全員六日以降は愛宕山の麓のアジトに集結しよう」と申し合わせた、その片づけるべき問題のためであった。

神兵隊事件の公判こそ、「その刑を免除する」という画期的な判決を受けていたが、中村先生はほかに、昭和十二年のいわゆる「松石事件」による三年の実刑判決と、平沼騏一郎銃撃事件の公判をかかえていたのである。

そのまま収監された中村先生は、獄中で玉音放送を拝し、出獄はそれから3年後の昭和23年8月のことであった。

このことによって、講師は中村先生の教えを受けることができ、またその思想が講師によって伝播されているのであるが…。

「一々憶えていないけれども、私は随分興奮して、(八月)十五日は終日怒鳴ったり泣いたりしたようだ。刑務所では私に自殺のおそれがあるとして二十四時間常時不断の看視をつけた。」

「私ははじめ、断じて承詔必謹できなかった。恐れながら刺し違えたいと思うほど、天皇陛下をお怨み申し上げた。二・二六の磯部菱海よりも烈しく、三島由紀夫の英霊の声よりも痛切だったかも知れない」(『前掲書)

しかし、その憤死せんほどの葛藤が「尊皇絶対」という大思想へと昇華されるのである。

《民は知らずとも、君は知ろしめているのである》

「されば我ら、占領下の『憂怖諸の苦悩』に惑うことなく、謹みて大御心に随順し奉り、無上道たる国体を死守しようと誓った。なにか昂然たる自信と希望に包まれたようであった」(前掲書)

のちにこのことを奥様に語ったとき、奥様もまた同じことを思われていたという…。

講演のなかでは、中村先生と奥様のエピソードも多く語られた。先生の近くで教えをいただいた講師ならではのお話しだった。

無上の国体

その絶対に対して取るべき態度とは、ひとつであるか否か。志を同じくする者のなかにあっても、それは「永遠の命題」といっても良いだろう。

先月、三島由紀夫の『英霊の声』の一節を仲間たちとともに考えた。

「その方たちの志はよくわかった。
その方たちの誠忠をうれしく思う。
今日よりは朕の親政によって民草を安からしめ、必ずその方たちの赤心を生かすであろう。
心やすく死ね。その方たちはただちに死なねばならぬ」(『英霊の聲』三島由紀夫)

馬上の天子様と皇軍の兵士・臣子としての生き死に。

現代では、アナクロニズムと笑われるであろう信念に生きる道とはどういうことなのかと。

「臣子の祈りとは、私にとって、勤皇まことむすび、尊攘同志会の精神を要約した『尊皇絶対 生命奉還 神州恢復 朝敵撃滅』の四句の誓いである。死ぬべくして死なず、生かされてここにいる一囚奴に、君と国のために尽くせることはなにもないが、義貞のように人知れず切なる祈りを捧げて国体をお護りすることはゆるされよう。妻も獄外にあって、私と心を一つに朝夕四句を唱え臣子の祈りを捧げているのである」(『維新は幻か』)

「尊皇絶対 生命奉還 神州恢復 朝敵撃滅」

おそれながら私も、朝夕に神前でこの誓願を念唱する。

私に「その資格がありや、なしや」という命がけの誓願だ。単なる儀式ではない。

せめて仲間たちには、その思いを共有してもらいたい。

天長節の佳き日に、あらためて中村先生のお声がよみがえり、師の君を語る講師の涙にふれ、心洗われる思いと、さらなる精進を誓った。
『月刊日本』の忘年会に、青年隊・中川君を伴い参加。

普段はあまり会うことない方々が集う、刺激的な集まりである。
中川君は今頃、知恵熱を出していることだろう。

22日に発売された『月刊日本』1月号の《「人を殺す思想」こそ本物だ》(佐藤優・山崎行太郎)には考えさせられること多し。

なかでも、佐藤さんの言う「話者の誠実性」に共感する。

桜井誠に対する評価には疑問符が付くが、私は「人を殺す思想」との境界線を行き来する「右翼の掟」に生きたいと強く思わされた。
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藤田小四郎 楠公自画賛(回天館)
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嗚呼忠臣楠子之墓 拓本(回天館)
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水戸へ

年末の墓参りのあとに回天神社と常磐共有墓地へ

正気の歌、楠公祭、天狗党…。いろいろな点が線になってくる。

とらや書店での今日の収穫は、『天狗黨の跡を行く』(鈴木茂乃・暁印書館)/『水戸学の道統』(名越時正・水戸学研究会、鶴屋書店)
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藤田幽谷 東湖父子墓所
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藤田小四郎墓所
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天狗党墓所(天狗党筑波山挙兵は元治甲子の年)