6月26日(日)

♪「九段の母」
両手あわせてひざまづき
おがむはずみのお念仏
はっと気づいてうろたえました
せがれ許せよ田舎もの

真言宗護国派のみなさんと、靖國神社に参拝させていただいた。
佐久間副長が誘ってくれた。

はたして、どのような拝礼をされるのか。

興味があったことも事実だ。

拝殿にて修祓。
その後、奉納というかたちで、読経がおこなわれた。

ふと、さきの「九段の母」のフレーズがうかんだ…。

立派なお社に祀られる息子に会いに来た母は、神社であるにも関わらず、いつもの調子でお念仏を唱えてしまう。母はうろたえるが…。

それは決して間違いではない。当事者の心からの慰霊とはそういうものだ。

日本共産党のある党員がネット上で「九段の母」の歌詞を我田引水的に解釈していた。

「靖國神社に息子などいませんよ。すべて国の神様にさせられてしまったんだから」と。

せっかく靖國神社まで来たのに…、と嘲笑うかのように。

このような思考におちいるイデオロギーを信仰する自由もあるのだろうが、しかしそれを、他者の信仰を冒涜する自由に解釈することは断じて許さない。

奉納後、本殿では、管長さんが代表する玉串奉奠にあわせて拝礼。
なにより、その所作の見事さに敬服した。

仏式の奉納を受ける靖國神社のおおらかさと、本殿での神式の儀礼参拝。

日本の信仰の本質をみた思いがした。

三島由紀夫が危惧した、生活や信仰の体系崩壊もなんのそのの、本来の慰霊顕彰のかたちをみた気がした。

本来あるべき、祖国の信仰のかたちがあった。

護国派の皆様に、感謝、合掌。