10月22日より4日間「まことむすび奉仕団」の一員として、皇居勤労奉仕に参加させていただいた。
あいにくの天候不良で、大したご奉仕ができなかったことが悔やまれる。

今回は、初心にかえる意味を込めて、十年前に『國の子評論』に記した拙文を掲載。


■■■「宮中勤労奉仕の記」(『國の子評論』平成19年8月号)■■■

本年も、二度の宮中勤労奉仕をさせていただいた。

六月五日より、「みやこ奉仕団」の一員として、また、七月二日より「玉鉾奉仕団」の一員として、計八日間、皇居及び赤坂御用地での奉仕作業を貫徹した。

どちらも 天皇皇后両陛下より御会釈とお言葉を賜る。お忙しい御公務をこなされる 両陛下でありながら、我々奉仕団の前に御出座いただき、暖かい御言葉をかけていただける。正に君民一体を強く思う瞬間である。

六月の赤坂御用地御奉仕の日には、奇しくも 皇太子殿下がポリープの手術をされる日と重なった。御会釈こそかなわぬものであったが、皆整列し御所前に立たせていただいたとき、きっと奉仕団員全員が手術の成功と御快癒を祈念したに違いない。そして我々は懸命に草を刈った。

七月の御奉仕に当たっては、御元気そうな皇太子殿下の御姿を拝することが出来、感激もひとしおであった。

宮中勤労奉仕は、昭和二十年十二月八日、宮城県「みくに奉仕団」が戦後始めての勤労奉仕を許された。「みやこ奉仕団」の前身である「不二奉仕団」はその直後、昭和二十一年から本年に至るまで、欠かされることなく行なわれている。

私は昨年の第六十回という大きな節目の年から参加をさせていただいた。白シャツ、白鉢巻姿で懸命に草を刈る友のひたむきな姿、そして先人から連なる想いに敬服し自分自身もまた、負けていられないとの思いを強くする。これを切磋琢磨というのだろう。

影山正治先生は云う
「一文の得にもならない、宮中勤労奉仕などといふことに、手銭・手弁当で、満二十五年もの間、血道をあげる」などといふことは、「ささげること」よりも「うばふ」ことを主体とする戦後の世の中から云えば、まさに「バカみたいなこと」であるだらう。「惚れなければ出来ない」やうな、その、「バカみたいなこと」に徹してゆかうとするところに、大東塾の「尊皇」と「維新」のありかたがあるのだらうと思ふ。大西郷も云つたやうに、我々は、その「バカみたい」な無償の一念が、実は国を清める根ころに実は、見失はれた「聖なるもの」、忘れられた「日本そのもの」が脈々として生きて居るのを見るからである。そのことの実証を目の前に見たいものは、「そんなバカな」と批判や理屈や文句を言ふ前に、一度、心をむなしくして、すなほに、四日間の「皇居勤労奉仕」をやってみるがよいのだ。(「宮中勤労奉仕満二十五年」影山正治)

臣民の無償の一念が国を清める力になっていく。

この力の結集こそが我々の使命であると、強く感じる。御奉仕期間中こんなことがあった。

久間防衛大臣がお得意の失言の中で「原爆投下はしょうがなかった」と、愚にも付かない発言をした。野党はもとより、与党までも一斉に反発を強める中辞任をし、新しい防衛相に小池百合子が就任した。

皇居宮殿で小池百合子新大臣に対し認証官任命式が行われる日、我々は 陛下の御住まいがある吹上地区での御奉仕をさせていただいた。草を刈り、集め、捨てに行く。そんな作業を繰り返す中で、宮内庁担当者から、「陛下が御通りになりますので、並んでください」と指示がある。

過去の御奉仕中にも何度か御公務に御出座しになる 陛下を御見送りさせていただいた。しかし、今回違っていたのは 陛下御自ら車を運転され宮殿に向かわれたことである。

すなわち、新大臣の認証官任命式に対し 陛下は、車の後ろに乗られるのではなく、御自ら運転され宮殿に向かわれたということである。

そこにどのような意味があるのか、推測することは不遜なことであるかもしれない。しかし私は敢えてこう考える。

以前ある政治家が「大臣というけれども、誰の臣なのか」という発言をした。尊皇心のかけらもない男であると、自らが公言したようなものであるが、今回正に 陛下は自らの臣としての防衛大臣信任に対し、御自らが車を運転され宮殿に御出座しになったのである。

これ以上の臣に対する御心遣いがあろうか。信任を受ける多くの政治家はそのようなことを知る由もないだろう。知れば、金や女のスキャンダルなど出てこようはずもない。

宮殿から戻られる 陛下をお迎えする。 陛下は車を止められ、窓を全部開けられ我々を労いくださる。

臣民としての誓いを新たにした瞬間であった。
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北海道から参加の雪田さんと